大統領ハリー・S・トルーマンと戦艦ミズーリのあまり知られていない5つのこと

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ハリー・S・トルーマンは1945年から1953年の間、第33代アメリカ合衆国大統領の職を務めました。大統領になる前は、ミズーリ州選出のアメリカ合衆国上院議員でした。戦艦ミズーリを語るにはかかせない存在であることは間違いありません。トルーマン大統領がなぜ戦艦ミズーリの大きな支持者であったのでしょうか。この歴史的な戦艦ミズーリをさらに知っていただくためにも、トルーマンとの関係についてのお話をご紹介いたします。

その1:
戦艦ミズーリは、1944年1月29日、ブルックリンのニューヨーク海軍工廠にて、トルーマン大統領の娘、マーガレット・トルーマンよって命名、進水しました。
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その2:
トルーマン大統領によって、戦艦ミズーリが第二次世界大戦が終結した降伏文書調印式の会場に選ばれました。また、1945年8月14日にトルーマンによって日本の降伏が発表されました。
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その3:
1945年10月にニューヨークで行われた海軍記念日式典の際も、トルーマン大統領は戦艦ミズーリに乗艦していました。大西洋艦隊司令官ジョナス・イングラム提督と、アメリカ海軍提督・大統領主席補佐官であるウィリアム・リーヒと共に、艦上において日本が降伏文書の署名を行ったまさにその地点に新たに取り付けられた記念盤の出来を確認しました。

トルーマンはまた、東京湾での降伏文書署名の際に使用された時と同じ机の上で、客用の記帳簿に署名をしました。彼は海軍記念日式典での式辞にて、彼はこのように述べています。「わたしたちの自由と世界平和の実現のためには、海・空における力がいまだ重要である。」

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その4:
戦艦ミズーリでは、食事を提供するカウンターのことが、トルーマンラインと名づけられました。1947年、トルーマン大統領がブラジルのリオデジャネイロで開かれた会議を終え、バージニア州ノーフォークへ戻る12日間の航海を大統領とその家族はミズーリで過ごしました。航海の間はずっと士官や乗組員たちと食事を共にしていたので、全ての乗組員たちから慕われていました。
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その5:
1949年までには、アイオワ級の戦艦4隻中3隻がすでに退役していました。しかしながら、戦艦ミズーリに愛着を持っていたトルーマン大統領は、ミズーリを退役させないように命じました。そしてそのすぐ後に、戦艦ミズーリは朝鮮戦争に出動しました。
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Photos by: NavSource Online, USS Missouri Memorial Association collections and Wikipedia.

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投稿者: senkanmissouri

歴史的な過去と現代の技術の共存する船、戦艦ミズーリは、訪れた人々に歴史の痕跡と真実を巡る機会を提供する記念館として一般公開されています。戦艦ミズーリ記念館は展示物、過去の記録、ツアーなどを通じて、皆さまに艦上での生活について詳しく学んでいただけます。現在公開されている戦艦上の多くの部分は、ミズーリ号が就役していた当時の状況をほぼ忠実に再現しています。当時の戦艦内の設備や生活の様子などをご自身の目で確かめに、ぜひご来館ください。

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