沖縄戦下での出来事

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若き特攻隊員は他15機と共に鹿屋航空基地を飛び立ちました。正午頃、沖縄本島の北東海上にいた戦艦ミズーリの防空レーダーが7,500ヤード(約6.9キロメートル)離れた地点の特攻機を察知します。戦艦ミズーリの対空射撃を受け、この若き特攻隊員の機の高度が急速に下がりました。

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たくさんの銃弾を受けながらも奇跡的に高度とスピードを取り戻し、そして戦艦ミズーリの第三砲塔付近の右舷側面に激突しました。

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炎があがり、右翼が30メートルほど前方の副砲後方のあたりに投げ出されました。爆弾が爆発することはなく、その他の機体は海へと落ちました。

火災を消し止め、特攻機の残骸を片付けていた乗員たちは、その特攻隊員の上半身のご遺体をデッキの上で発見します。

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乗員たちはすぐさまホースの水でご遺体を水中に落とそうとしていたところ、ウィリアム・キャラハン艦長は医療班にこの特攻隊員のための水葬の準備をするように命令を出しました。中には不満を漏らす者もいましたが、フォーク従軍牧師は「死んだ敵はもはや敵ではない」として周りを説得しました。そして翌日の1945年4月12日、何人かの乗員が準備した旭日旗にくるまれたご遺体に対し、礼砲と共に全員敬礼をして水葬がとり行われました。フォーク従軍牧師は「遺体を海に沈めよ!」と命じて締めくくり、ご遺体は静かに海へと戻されました。

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戦争のさなかに、敵とは言えども尊敬に値するとして行われたこの行為は、戦艦ミズーリを語る上で後世へ語り継ぐべき重要な出来事です。

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投稿者: senkanmissouri

歴史的な過去と現代の技術の共存する船、戦艦ミズーリは、訪れた人々に歴史の痕跡と真実を巡る機会を提供する記念館として一般公開されています。戦艦ミズーリ記念館は展示物、過去の記録、ツアーなどを通じて、皆さまに艦上での生活について詳しく学んでいただけます。現在公開されている戦艦上の多くの部分は、ミズーリ号が就役していた当時の状況をほぼ忠実に再現しています。当時の戦艦内の設備や生活の様子などをご自身の目で確かめに、ぜひご来館ください。

2件のコメント

「沖縄戦下での出来事」への2件のフィードバック

  1. ミズーリ艦長の実兄は、ソロモン海戦で戦死した米海軍少将で、駆逐艦キャラハンの名の元になりました。駆逐艦キャラハンは沖縄海域で激戦の中、海軍特攻隊の長谷川大尉を救助しています。そして、終戦直前の7月30日、冨士信夫参謀の神風特攻第三龍虎隊の「赤とんぼ」によって撃沈され、アメリカ海軍最後の喪失水上艦となりました。これら一連の事実をクリント・イーストウッド監督によって映画化されたら素晴らしいと思います。

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