ロスコー・ヘンリー・ヒレンケッター中将: CIA長官になった真珠湾攻撃生存者

戦艦ミズーリが現役で活躍していた期間には、歴代20名の艦長がその任を務めました。その中の3名は2度艦長に任命され、1名は降伏文書調印式に立会い、そして1名はCIA長官になりました。

ロスコー・ヘンリー・ヒレンケッター中将は少年の頃野球の選手になりたいと思っていましたが、海軍士官学校に入ったことが彼の人生を大きく変えました。ロスコーは1897年5月8日にミズーリ州のセントルイスで生まれ、1920年に海軍士官学校を卒業しました。第一次世界大戦下の1918年、海軍士官学校生として戦艦ミネソタ(BB-22)の任務に従事し、第一次世界大戦戦勝章を授与されました。バナナ戦争下の1932年にはニカラグアに派遣され選挙の実施に貢献し、ニカラグアの功労賞を授与されました。

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その後1930年代にはヒレンケッターはパリのアメリカ大使館で海軍武官補佐として従事し、1940年にはフランスのヴィシーの海軍武官に任命されました。フランスの赴任期間で彼の海軍士官としての知的能力は養われました。ヒレンケッターが海軍武官であった時期、ナチスがフランスに侵攻して間もないころに、興味深い逸話が残されています。在フランスのウィリアム・ブリットアメリカ大使の命を受け、ヒレンケッターと大使のアシスタントのロバート・マーフィはドイツ政府軍臨時参謀長Bogislav von Studnitz中将を訪問する事になりました。運よくvon Studnitz中将はアメリカ大使館の向かいのホテルに彼の本営を構えていました。ヒレンケッターとマーフィは中将との数分の面談を予期していましたが、アメリカ側にとって幸運なことに、軍司令官は前もってクリヨンの有名な酒貯蔵所のシャンパンを注文していた事もあって場は和み、ヒレンケッターらが知りたいと思っていた質問に対してすべて答えてもらうことができたというのです。その結果ヒレンケッターはvon Studnitz中将から得た知識を活用し、アメリカが参戦する前に同盟国に有利となる支援を行うことができました。

1941年の夏にヒレンケッターはフランスを離れ、戦艦ウェストバージニア(BB-48)の副艦長としての任務につきました。皮肉にも、1941年12月7日の真珠湾攻撃では彼が乗艦していた戦艦ウェストバージニアが最初の攻撃を受けました。その日、戦艦ウェストバージニアはF-6埠頭で戦艦テネシー(BB-43)の外側の隣に係留されていました。戦艦オクラホマ(BB-37)は日本軍の魚雷攻撃による大打撃を受け転覆しましたが、そのような状況下でも乗組員たちが機敏にしっかりと行動した事によりかろうじて戦艦ウェストバージニアは転覆を免れました。ヒレンケッターは、戦艦ウェストバージニアに乗艦していた中でも最も高官の生存者で、戦傷章であるパープルハート章を授与されました。

1945年10月、ヒレンケッターは降伏文書調印式の会場となった事で名を馳せる戦艦ミズーリ(BB-63)の艦長の任務を引き受けました。1946年春、戦艦ミズーリはMehmet Munir Ertegun大使のご遺体を本国のトルコへ送還する為の外交輸送船として任命されました。Ertegun大使は1944年にアメリカでの任期中に亡くなりましたが、戦争下での輸送は危険とみなされすぐの送還はかないませんでした。このような任務には通常巡洋艦が選ばれますが、米海軍史上最大級であり降伏文書調印式の会場となった戦艦ミズーリを採用する事で、東ヨーロッパ諸国へアメリカの強さを改めて示しました。この戦艦ミズーリによる大使の本国送還によって、アメリカ政府は共産主義反対の動きも明白にしました。この航海ではイスタンブール、アテネ、ローマ、アルジェリアに立ち寄りました。この航海中に船員が描いたヒレンケッターが魔法のカーペットに乗っているこちらの絵は、当館に新しく展示されています。

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1947年、ヒレンケッターは発足間もないCIA長官に任命され、その後3年間その職を務めました。1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、彼は軍に戻ることを決意します。そしてUSSセントポール(CA-73)を旗艦とする巡洋艦第一部隊の指揮官に任命されました。朝鮮戦争では朝鮮半島東側沿岸から中国に到達するほどの範囲の艦砲射撃を指揮し、また海兵隊の元山及び興南からの撤収も指揮しました。後にはソウルの西に位置する仁川港地域を奪還しました。1950年10月から1951年夏まで太平洋地域巡洋艦第一部隊の司令官を務めた後、1956年4月9日に中将に昇格、1957年5月1日に退役するまで海軍総括監察官として任務を果たしました。退役後の1957年から1962年までは航空大気現象調査委員会役員を務めました。1982年6月18日の没後、アーリントン国立墓地に埋葬されました。

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ヒレンケッター中将の海軍での経歴は様々な意味で並外れていると言えるでしょう。3つの戦争を戦い、フランスの困難な時期には海軍武官として任務にあたり、真珠湾攻撃を生き延びた後、過去70年に渡りアメリカ安全保障にまつわる活動を続けているCIAの発足に貢献しました。戦艦ミズーリで従事した期間は長くはありませんが、戦艦ミズーリのセカンドデッキの一画の彼にまつわる展示物をご覧いただくことによって、彼が遺したものそして彼の功績は、この戦艦を訪れる人々に感銘を与え続けることでしょう。

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By guest blogger: Megan Plaumann, Archival Assistant

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投稿者: senkanmissouri

歴史的な過去と現代の技術の共存する船、戦艦ミズーリは、訪れた人々に歴史の痕跡と真実を巡る機会を提供する記念館として一般公開されています。戦艦ミズーリ記念館は展示物、過去の記録、ツアーなどを通じて、皆さまに艦上での生活について詳しく学んでいただけます。現在公開されている戦艦上の多くの部分は、ミズーリ号が就役していた当時の状況をほぼ忠実に再現しています。当時の戦艦内の設備や生活の様子などをご自身の目で確かめに、ぜひご来館ください。

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