26年前…

26年前の1992年3月31日、カリフォルニア州ロングビーチで戦艦ミズーリは2度目にして最終的に退役しました。戦艦を維持するための費用をこれ以上捻出する事にはもはや限界がありました。
missouri_recomissioned.jpgカリフォルニア州ロングビーチ海軍造船所にて行われた戦艦ミズーリの退役式で。乗組員が敬礼をしている様子。

戦艦ミズーリの最後の艦長であるAlbert Lee Kaiss艦長は1986年に戦艦ミズーリが復役した際の艦長でもありました。
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戦艦ミズーリの歴史上大変重要であるこの日の事を元乗組員の方々からの聞いたことを元にご紹介していきたいと思います。

私は戦艦ミズーリが復役を果たすためのチームのメンバーとなり、1985年6月から1987年6月まで任務につきました。最後にもう一度だけミズーリで航海したのは1991年に真珠湾攻撃50周年記念のためにパールハーバーへ向かった時でした。また、(じっくり話すと長くなりますが、)1997年にはブレマートンへ行き、パールハーバーへ行くことになった戦艦ミズーリの下準備をする整備担当の一員も努めました。最後に、1999年春に乗艦していたUSSボノム・リシャールがパールハーバーで消磁している間、戦艦ミズーリで1週間ばかり作業を行いました。

1991年にパールハーバーへ向かう途中、これでいよいよ最後なんだな、と皆が感じていました。12月7日の明け方午前3時、Kaiss艦長とJones艦長(機関長として乗艦していた時の当時の上司)に差し上げるため、アリゾナ記念館を背景にした退役する前の戦艦ミズーリの写真を1枚撮りました。Kaiss艦長専用の部屋で“退役式には出席するだろう?”と、質問というより断定的に艦長がおっしゃったのを今でも覚えています。翌朝制服に着替えて造船所へ行くと、5年以上も会っていない多くの友人や船員仲間と会う事ができ、互いに再会を喜びました。

いつもの幹部達が来場し、一部の幹部は高座に、一部の幹部は一般の参列者席につきました。記憶が正しければ、復役の式に参列された方の中でIke Skeltonミズーリ州議会議員だけが今回ももいらっしゃっていました。Margaret Truman氏はなぜかいらっしゃいませんでした。

スピーチなど全ては覚えていませんが、Kaiss艦長が湾岸戦争で素晴らしい活躍をし、戦艦ミズーリに新たな歴史を刻んだとして、乗組員たちを賞賛していたのをはっきりと覚えています。

そして、避けては通れないその時がやってきたのです。皆その時が来ることを知ってはいたものの心の準備が出来ていませんでした。艦長は命令書を読み上げると、ロングビーチ海軍海上群司令官に敬礼をしました。そして、旗を降ろして乗組員に下艦する指示を出しました。

私を含め皆涙しました。Kaiss艦長が最後に下艦する様子を写真におさめる事が出来ました。とても悲しく、やり場のない怒りで胸が張り裂けそうでした。
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戦艦ミズーリ就役中ずっと乗艦していたEMC Bob Webber上級士官より上級士官クラブでの飲みのお誘いを受け、私は快く承諾しました。そこには、第二次世界大戦や朝鮮戦争の時代のミズーリの元乗員達が何人かいました。そこで私達は昔話をしたり、背中をたたきあったり、一緒に涙を流したりしました。私達はいわば戦艦の水兵の生き残りでした。そのあと私はサンディエゴへ運転して帰ったのですが、帰路の間中私はまるで大事な家族をなくしたような気持ちになって文字通りずっと泣き続けました。今も同じように感じています。

あれからずいぶん時が経ってしまった事が信じられません。艦砲射撃を行ったり、世界中を航海したり、時には楽しい時間を過ごした事が昨日のように感じるのです。私達は誇りをもっていました。尊大でした。そして兄弟でした。

戦艦ミズーリ記念館で最初に発行されたパンフレットには私の言葉が引用されています。“一に戦艦、二に戦艦以外のその他。”仲間の乗組員たちはこの言葉に賛同してくれると思いますが、結局、海軍乗組員は2種類に分かれると思います、“戦艦の乗組員かそうなりたかった乗組員か”。

姉妹艦である戦艦ニュージャージーのRobert Peniston艦長がおっしゃった事は私達の戦艦には少し変えて伝えたいと思います。“眠りは浅くともゆっくり休み、もしもその時が来た時には、また自由のための強さを示しなさい。”

14212654_10207714325879249_3659158319066053537_nJohn Lewis
乗艦期間:1985年から1986年
事務係2等下士官
整備部

“とても重苦しく悲しい日でしたが、誇り高き感動の日でもありました。”、と戦艦ミズーリ最後の機関長Larry Doong氏は言いました。“美しく、また信頼してきた戦艦が退役するという事実を受け止める事は乗組員として大変つらいものがありましたが、経済的な背景も皆理解していました。”

doong_lawrenceLarry Doong
乗艦期間:1990年から1992年
中佐
整備部

“カリフォルニア州ロングビーチの桟橋での退役の日のことは今も覚えています。海軍の1つの時代の終わりでもあり、悲しい1日でした。アイオワ級戦艦というのは、特別な存在でした。戦艦の乗組員であった事は私の海軍でのキャリアのハイライトと言えます。”

23472252_10155950789989082_5368311733998906562_n Kevin R. Kilgore
乗艦期間:1989年から1992年
人事庶務2等下士官
管理部

“再就役を果たす前からかかわっていた乗組員の一人としては戦艦ミズーリが除籍され現役から退く事はとても悲しかったです。しかし、戦艦アリゾナと一緒に沈んだ乗組員たちを永遠に見守っている事は良い事だと思います。私達の戦艦をどうぞ大事にしてください。私が退役した時には再び訪れようと思っています。”

mccullough_melvin Melvin McCullough Jr
乗艦期間:1985年から1989年
船体整備1等下士官
整備部

“Kaiss艦長が舷門を立ち去るまで実感が沸きませんでした。涙をおさえる事が出来ませんでした。26年経ってもなお心が痛み、もう一度だけでいいから航海したいと願って止みません。”

fields_rodney Rodney E. Feilds
乗艦期間:1989年から1992年
上等兵
補給部

“退役の日のことは今も覚えています。戦艦ミズーリに乗艦して様々な素晴らしい人々と出会う事が出来ました。今でも連絡をとる元乗組員もいます。(誰の事を言っているか本人なら分かりますよね。)退役に向けて準備をしている時は悲しく、最後に戦艦を去る時は別れを告げる事がとてもつらかったです。翌日、ブレマートンに向けて旅立つミズーリが曳航されてパロスベルデス半島沖を回っていくところを姿が見えなくなるまで見ていました。“戦艦乗りの兄弟”と呼べる素晴らしい仲間に出会えた事が私のかけがえのない宝です。”

brown_michael Michael A. Brown
乗艦期間:1990年から1992年
上等兵
デッキ部

 

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投稿者: senkanmissouri

歴史的な過去と現代の技術の共存する船、戦艦ミズーリは、訪れた人々に歴史の痕跡と真実を巡る機会を提供する記念館として一般公開されています。戦艦ミズーリ記念館は展示物、過去の記録、ツアーなどを通じて、皆さまに艦上での生活について詳しく学んでいただけます。現在公開されている戦艦上の多くの部分は、ミズーリ号が就役していた当時の状況をほぼ忠実に再現しています。当時の戦艦内の設備や生活の様子などをご自身の目で確かめに、ぜひご来館ください。

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