RPV(遠隔操縦無人機)トラッキング/コントロールアンテナの復元

1-jpg写真は湾岸戦争時に艦尾より遠隔操縦無人機(RPV)が飛び立つ時のもの。

以下のRPVに関する内容は戦艦ミズーリ航空部隊リチャード・バーグレン少佐からの情報を元にお伝えしています。“私は湾岸戦争時とその後も戦艦ミズーリ(BB-63)のVC-6無人航空機分遣隊に所属していました。無人航空機は遠隔操縦無人機(RPV)と主に呼ばれていました。決してドローンとは呼びませんでした。

主砲の射撃観測用として活躍し、長距離を小銃のような正確さで狙う事が出来ました。第二次世界大戦時の集中砲撃戦術とは対照的に、標的をヒットするとダメージの度合いから続けて攻撃すべきか別の対象に移るかを判断する事が出来ました。

私たちのターゲットの少数はクウェート内でしたが、ほとんどはファイラカ島に位置していました。最終的にはファイラカ島の全てのイラクの占領軍は戦艦ウィスコンシン(BB-64)から放たれたパイオニアRPV(ナンバー159)により降参しました。イラク人はRPVがどれだけ恐ろしいものかを身を持って知っていたのです。VC-6はバージニア州ノーフォークを母港とする混合小艦隊で、士官や航空部隊、水上部隊など広範囲の人員から構成されていました。RPVに加え、彼らは遠隔操縦水上艦艇や遠隔操縦ターゲット・ドローンなども使用していました。

VC-6 RPV分遣隊は1980年代後半に、戦艦アイオワ(BB-61)と戦艦ニュージャージー(BB-62)に派遣されました。08レベル前方と艦尾煙突の前方にドームで覆われた極超短波トラッキング/コントロールアンテナがこれらの戦艦には搭載されていました。

艦尾から飛び立ったRPVが任務を終えて回収される際に使用するネット回収システムの一部として、高い金属性の柱とワイヤーも設置されました。

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RPVが任務を終えて戦艦ミズーリ艦尾のネットに回収される様子。

縦約2.4メートル、横・奥行き共に約1.2メートルの“バード・ボックス”と呼ばれる箱に、分解されたRPVを入れ、その箱を第三砲塔前に並んだ6個のスチール製の“ブラスト・ボックス”と呼ばれる箱に保管していました。

スチール製のブラスト・ボックスは無人航空機や木製のバード・ボックスを、主砲から発せられる超圧力から保護する役目を果たしました。ある時ミズーリにおいて空の余分なバード・ボックスをブラスト・ボックスに入れない状態で主砲を撃たなければならなかったのですが、爆風によってまるで卵の殻がつぶれたようになりました。

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第三砲塔付近のファンテイルで発射台に設置されたRPV。後ろに見えるのがスチール製のブラスト・ボックス。

戦艦ミズーリからUAV/RPVが最後に飛行したのは1991年12月前半、ハワイからの帰路の際でした。ウィスコンシンとミズーリでは退役直前にRPV関連の装備は撤去されました。ドームやブラスト・ボックスなどの一部の設備の中には、船に残されたものもありましたし、あるいはノーフォークやロングビーチで取り外されたものもありました。、私はそれらをその後決して見る事はありませんでした。その他の設備はVC-6 RPV分遣隊が拠点を置くメリーランド州パタクセントリバー海軍航空ステーションへ送られました。そして、様々な研究がなされ、パイオニアUAVをどの船へ派遣するかが決定されました。

その間、韓国の乙支フォーカスレンズ軍事演習を支援するために短期間パイオニア(無人航空機)を地上配備モードで運用しました。また、多くの人々や組織に対して試験飛行やシステムを幾度となく披露しました。

やがて、パイオニアUAVシステムはオースティン級ドック型輸送揚陸艦(LPD-4)への搭載に適していると判断され、サンディエゴが母港のドック型揚陸艦デンバー(LPD-9)、続いてヴァージニア州ノーフォークが母港のドック型揚陸艦シュリーブポート (LPD-12)に最初に搭載されました。アンテナ、地上コントロールシステム、送信装置、ランチャーなど戦艦に搭載されていた設備はドック型輸送揚陸艦(LPD)に搭載されましたが、ネット回収システムは適さない為、全く新しい大型のネットシステムを開発し搭載しました。以前のネットシステムと柱は、メリーランド州パタクセント・リバー海軍航空基地にある防衛再利⽤・マーケティングオフィスへと送られ、解体されて売られました。これらは、1993年の9月か10月頃デンバーとシュリーブポートにて、パイオニアシステムが最初に配備されると同時に行われました。

私はVC-6 UAV分遣隊の士官でしたが、1994年10月に海軍を退役しました。その後、UAV分遣隊はドック型輸送揚陸艦で展開し、イラク戦争を最後に2006年頃に退役しました。“

バーグレン少佐は、2個設置されていたアンテナドームのうちの1個の復元に関する大変貴重な情報を提供くださいました。

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1991年の湾岸戦争で戦艦ミズーリよりトマホーク巡航ミサイルが発射されました。RPV/UAVトラッキングアンテナ/ドームは08レベルの真上に設置されています。

別の情報とは反して、バーグレン少佐はこの2つのドームはRPV/UAV、トラッキング/コントロールのCバンド、UHFアンテナおよび以下の機能に特化したものである、と話します。

“RPV/UAV を操作するために2つのアンテナを設置した理由は、RPVの方角にかかわらず常に積極的な管理・情報修正を可能にするためです。上層構造部、 煙突、クレーンなどによってトラッキング/コントロールアンテナとRPVの間が妨害される可能性もあるため、強いシグナルを放っているアンテナとRPVを繋ぐ事が出来るよう、2つのアンテナは同期していました。片方のアンテナに不具合が生じて1つだけを使用する事もありました。その際は、RPVの操作を継続するために司令官とブリッジ・ウォッチに船の進路が変わらないように伝える必要がありました。
前方と後方のアンテナ は同一性能で、切り替え機能が備わっているのです。“

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前方、後方のUAV/RPVトラッキングアンテナドームが搭載された戦艦ミズーリ。1991年パールハーバーにて撮影。

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また、バーグレン少佐はミシガン州で音楽を専攻した元トランペット奏者で、海軍入隊前には1年間学校で音楽を教えていました。海軍に所属した22年間もトランペットやビューグルの演奏を続けました。

12月7日に行われる真珠湾攻撃50周年のためにパールハーバーへ向かう途中、第二次世界大戦時にUSSサウス・ダコタに従事した乗組員の葬儀が行われました。海兵隊のライフル分隊による弔砲が放たれた後、葬送のビューグルの演奏が必要でした。その場に居合わせた唯一のビューグル奏者がバーグレン少佐で、演奏出来た事をとても誇りに思っています。“現役の戦艦でビューグルの音を響かせた、私が最後の奏者だったと後に知りました。”

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投稿者: senkanmissouri

歴史的な過去と現代の技術の共存する船、戦艦ミズーリは、訪れた人々に歴史の痕跡と真実を巡る機会を提供する記念館として一般公開されています。戦艦ミズーリ記念館は展示物、過去の記録、ツアーなどを通じて、皆さまに艦上での生活について詳しく学んでいただけます。現在公開されている戦艦上の多くの部分は、ミズーリ号が就役していた当時の状況をほぼ忠実に再現しています。当時の戦艦内の設備や生活の様子などをご自身の目で確かめに、ぜひご来館ください。

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