Kamikaze特別展示の改装工事に伴い、学芸員たちが展示物を移動している中、1人のスタッフが笑顔で我が子を抱く母親の人形を手にしました。以前の展示スペースでは見過ごされてしまう事もあるほどシンプルな人形ですが、展示に至る背景には実は深い意味が込められているのです…
1945年4月11日、戦艦ミズーリに一機の零戦が突入し、左の翼が衝突し船体にへこみを残して機体は散り散りになりました。乗組員たちが機体の残骸を片付けている際にデッキの上で発見したのはこの特攻隊員のご遺体でした。戦艦ミズーリの初代艦長であるキャラハン艦長は、この特攻隊員のために水葬を行う命令を出しました。水葬では国旗がご遺体にかけられますが、日本の国旗は艦内にはないため、数名の乗組員が徹夜で日本の軍艦旗を縫ってくれました。そして、1945年4月12日、静かにご遺体は海へと戻されました。
敵をここまでの敬意を持って弔う事は非常に稀でしたので、多くの乗組員はこのキャラハン艦長の命令に驚きを隠せませんでした。しかしながら、キャラハン艦長は、敵とはいえども祖国のために自らの命を捧げ、勇敢に自分の使命を全うした彼の行為は、正式な水葬で弔うべきだと判断したのです。
神風特攻機衝突から56年後の2001年4月12日、戦艦ミズーリ保存協会は、キャラハン艦長が特攻隊パイロットのための水葬の決定を行ったこと、そしてその特攻隊員に敬意を表し、セレモニーを催しました。このとき、航空特攻隊員のうちの1人の姪にあたる鎌田淳子氏がこの磁器製の母子の人形を、艦長の行為に敬意を表してキャラハン艦長の子息へ対して贈られたものです。
1945年9月2日の降伏文書調印式でマッカーサー元帥は“人間の尊厳”をめざす世界が生まれてくることを希望している、というスピーチを行っています。そしてまた、キャラハン艦長は慈悲深い行いによって人間の尊厳と命の尊さを示しました。